Rabu, Oktober 16, 2013

Idul Adhaの肉しか楽しみにしていない私の反省とちょっと質問

昨日はイスラム教のIdul Adhaであった。その日に、恵まれているイスラム教徒は牛やヤギを屠殺して、恵まれていない人達にその肉を分けて、美味しい肉を食べさせる。それが基本である。
他の国のイスラム教は分らないが、インドネシアでは、恵まれていない人達を優先してから、普通の人にも肉を配っている。つまり、みんなで美味しい食事をしようということであろう。
正直、肉を愛している私には、一番楽しみにしている行事である。(笑)
この行事はなぜ出てきたのかというと、私の知っている限りでは、ムハッマドのずっと前の預言者であるイブラヒムとイスマイルの親子の話によるという。
イブラヒムはイスマイルの父親で、二人とも神様にとても忠実な信徒であった。神様の命令を躊躇わずに、何でもやっている。ある日、イブラヒムは神様にイスマイルを屠殺したまえと言う命令を受けた。
イブラヒムは、やはり悲しんで悩んでいたが、神様の命令だから、するべきだと考えた。そして、そのことについてイスマイルに伝えた。イスマイルもそれが神様の命令だと分かって、"怒ったりしないから、お父様、どうぞ神様の命令をやってください"と誠実に言った。
それを聞いたイブラヒムは神様に素直で忠実なイスマイルを誇りに思った。そして、決心も強まった。
屠殺準備もし始めた。
私は、屠殺の武器(?)はナイフか何だか言う自信がないか、大きいナイフとしよう。
そのナイフは、イスマイルの首に触れる直前に、神様はそのことを止めた。 実は、神様は、イブラヒムとイスマイルの神様への信義と忠義を試みている。 神様は2人が神様からの試練を合格したと伝え、イスマイルの代わりに、ヤギを屠殺したまえと命令した。
それがこのIdul Adhaの行事の由来と言われている。
"その時、神様がイスマイルじゃなく、ヤギを屠殺してと命令しなかったら、今はどうなるんだろう"と、特に"肉食獣"が、肉がいっぱい食べれるからと言うことだけを楽しみにしていないように、イスラム教の先生達がよく聞いている。
大切なのは、肉を食べることでなく、恵まれていない人にも幸せを分けるということであろう。アメリカのサンクスギビングデーのような行事とも言えよう。
イブラヒムとイスマイルの話までしたが、実は私が聞きたいのは、つまりイスラム教にはベジタリアンという概念がないだろうか。
昨日から父に聞きたいが、なぜかいつも忘れてた。今は父がオフィスに行って、帰りは後6時間ぐらいである。近いから、後2時間ぐらいである昼休みに時々帰るけどね。
自分で答えを調べるのも楽しそうだが、誰か教えてくだされば幸いです。

ベジタリアンのことだけど、こんなに美味しい肉を食べないなんて、私はよくベジタリアンを可哀相に思っている。No offense. ただ肉を愛している世間知らずの肉食獣の考えです。
冗談だと考えてください。

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