Kamis, Juni 06, 2013

Haiku, and "Born This Way"

今学期の水曜日の3限目は俳句の授業‼
授業の初めに先生がある俳句のフォーカスになる言葉を隠して、学生をグループでその隠した言葉を当てさせる形で、色々な俳句を紹介してくれています。
今日の俳句の授業で紹介された俳句は恋の俳句だった。

罌粟ひらく
OOOOOまで
寂しきとき
(橋本多佳子)

罌粟(poppy)

さて、そのOOOOOは何でしょう?
あたしのグループにはこの俳句が知っている人がいたから、あたし正解を聞いた。でも、この俳句の紹介の目的は正解を探すことではなく、自分の想像を生かして、どんな言葉が出て来るかを考えて、その理由も説明しなければなりません。
あたしのグループには「涙出る」と提案した。あたしは寂しい時にはどうなるかを考えて「死にたくなる」って提案した。
正解は「髪の先」だけどね、、笑
この句を書いた人は女性で、「髪の先まで寂しい」っていうのはなんか一人で自分の長い髪を愛撫している女性のイメージが出て来るだろう。そんな女性を見て、「失恋」、「片思い」で悲しくて寂しがっている姿も思い浮かぶ。要するに、「恋の俳句」だ。
他のグループの答えをメモしなくて残念だな、、

2つ目の俳句は

ゆるやかに着て
人と逢ふ(あう)
OOOの夜(よ)
(桂信子)

さて、このOOOは何でしょう?
ヒントとして、この俳句に季語がまだ出て来ないから、そのOOOは季語だと言うことが明らかだ。
あたしのグループの一人は「大人」って提案した。季語にならないけどね、、でも、そのせいで私も最初は「デート」とか「Gの次の文字」とかしか考えられなかった。orz
が、冷静に考えてみた。「ゆるやかに服を着るのは夏だから、OOOは夏の季語だ」と思い出して、「花火」にした。
結果は、夏の季語はあたったが、正解は「蛍」だった。
この俳句も「逢」の漢字を使ったから、やはり、恋しい人に会いたいと気持ちがあるからだ。要するに、この俳句も恋の俳句だ。

蛍の夜(night of the fireflies)

なぜ先生は今日、2つの恋の俳句を紹介したんだろう?
それは、今日の授業のトピックは古今和歌集の中にある恋の歌だから、
古今和歌集の中に春・夏・秋・冬そして恋の歌がよくあります。
春と秋の歌は夏と冬に比べると割と多いが、春と秋の歌の中に、分析の仕方によって恋の歌になるものもある。

例えばこの春の歌(No. 35)である

よみ人しらず
題しらず

梅花 たちよるばかり ありしより 人のとがむる かにぞしみぬる
ume no hana   tachiyorubakari   arishi yori   hito to togamuru   ka ni zo shiminuru

anonymous
Topic unknown

I lingered only a moment
beneath the apricot blossoms
And now I am
blamed for my
scented sleeves

In he context of uts presumed source, the personal collection of Fujiwara no Kanesuke (d. 933), this is a love poem sent to a woman facetiously complaining that incense, redolent of apricot (or plum) blossoms, burnt to scent her robes, has infused his own, and that their relationship has thus been discovered by members of his household. That his complaint is facetious is attested by the evidence that he sent his poem to the woman (who knows better) by the way of stating his intention not to be dissuaded. The editors of Kokinshu signal their intentions to reread this as a poem on "plum blossoms", not love, by placing it as an anonymous poem obliquely praising the seductive depth of the scent of the blossoms, in support of the poet's claim to have lingered only briefly.

英語で説明が書かれたんだけど、それに関係なく、自分の想像でこの歌は誰が誰に読む歌なのかを考えてみてと先生が言いました。
あたしはやはりこの歌は主人が嫉妬深い奥さんに読む歌だろうと思った。でも、他のグループの人が、この歌はだれかの美しい女の人が好きになった男の人が好きという気持ちを隠そうとしているけど、結局みんなにばれたという解釈も出た。
他にもあるけど、あたしの日本語力はだめだから、説明するのは難しい、、

梅の花(plum blossoms)

あたしに一番印象に残った歌は次の歌です。

No. 222
よみ人しらず
題しらず

萩の露 玉にぬかむと とれば消ぬ よし見む人は 枝ながら見よ

ある人のいはく、この歌はならのみかどの御歌なりと

hagi no tsuyu   tamani nukamu to   toreba kenu   yoshi mimu hito wa   eda nagara miyo

Anonymous
Topic unknown

Should I pluck the drops of dew
to thread as jewels
they'd vanish:
Best see them as they are
set on boughs of clover

Some say that this poem was composed by the Nara Emperor.

The mitate (visual metaphor) of dew drops as avenescent jewels is a familiar one. Dew is closely associated with the bush clover, hagi, a distinctive autumn flower.

見た通り、英語でもこの歌の説明はありません。
だから、私たちは自分で想像しなければなりません。
今度は先生の説明から言います。
萩の上に乗っている露はすごくきれいで、それを取って恋しい人に届けに行きたいが、取ったら露がなくなってしまうから、「よし、しょうがない、このままで見せましょう」と「ここに来て、一緒に見ましょう」という誘いのメッセージが含まれていると先生が解釈しました。

露(dew)

あたしは、恋という面から考えるの忘れたから、こう解釈しました。
みんなは綺麗だ。最初から綺麗だ。だから、もっと美しくする必要はありません。特に、美しすぎて自分を無くしてしまうかも知れません。ありのままでいいですよ。
というようなメッセージがあるんじゃないかなと。
何で今度は自分の解釈は最後にしたのかは、この曲も紹介したいです。
有名なLady Gagaが歌った「Born This Way」という曲です。
歌詞は少し極端な部分もあるけど、refrainの部分がそのままのメッセージですごくいいと思います。

I'm beautiful in my way
Cause God makes no mistake
I'm on the right track, baby
I was born this way
Don't hide yourself in regret
Just love yourself and your set
I'm on the right track, baby
I was born this way

ビデオはこちら
歌詞のあるビデオはこちら
歌詞はこちら

メロディーも元気を出せるし、落ち込んでいる時に聞くと損はないんじゃないかなと、、

This song teach me to learn to know who I am, and just love myself whoever I am

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