やっほ~
やはり暇で、今日は二回目もブログ書こう!
前のポストは何もやる気のない女の子が仕事に紹介されて、社会人になった話なんだが、
今回は、ずっと子供のままでいたがってる女の子が夢を追いかけている話をしよう。
何もやる気なくだめな女の子と同じ人物なんだけどね。
特に注目してもらいたいのは、昨日(6月10日、火曜日)の話。
どうして6月10日?
それは、文部科学省の研究生プログラムの申請書類審査の結果発表日だったからだああ!
月曜日から、同じプログラムに申請しているイヌンちゃんとイザちゃんと連絡を取って、ジャカルタで行われる予選テスト場にどうやって行くかの相談をしてた。
イヌンちゃんとは特に、「早く会いたいね。早く日本にいたいね。」の話で盛り上がった(盛り上がったって言えるかな?なんか切ない感じで話してたけどね。)
ま、その日から色々考えて、やはり、また東京にいたい!色んな国から来た友達に囲まれたい!
いや、別にここの友達がいやだとかの意味じゃないよ。ただ、卒業して依頼、みんなバラバラになってしまったから。
結婚とか仕事とか。
ガジャマダ大学の日本語学科に入ってからも、高校生時代の友人もバラバラだしね。あたしの友人はみんなソロにある大学に入ったり、ソロで就職始まったりしたし。
あたしは一人ぼっちでガジャマダ大学に入学したって言えるかな。
ま、ガジャマダ大学に入学した同じ高校を卒業した学生もいっぱいいたけどね。学部と学科は違うけど。
そして、今、高校生時代から憧れてた一年間日本に留学もできてから、ガジャマダ大学に戻って、卒論を完成して、卒業した。
前は、「卒業してから、就職!もう勉強なんてしたくない!レポートとか課題などが面倒くさい!」なんてことを思っていたが、
卒論の発表の後かな、また留学したいと思ったのは、、
いや、卒論の発表後の卒論訂正の後かしら?
あの時、「ある疑問を抱き、この疑問の答えを求め、やっと答えが見つけたと言う気持ちが最高だな!」と思った。
後、言語に興味を抱いてるからかな?最近、よくインドネシア語と日本語の表現や、句などを比較したり、両国のある文化を比較したりして、疑問が浮かんでる。
インドネシアと日本のこの表現の比較研究すれば楽しいだろうな、インドネシアの日本のこの文化について比較研究したら面白いだろうな、とか。
それで、研究者になろう!と思うようになった。
ま、言語の研究者だったら、大学で先生をやっているとイメージがあって、ちょっと迷ったけど。
いや、先生になりたくないからじゃないよ。問題なのは、大学で教えることじゃなくて、大学生時代からよく友達に「ガナは将来先生になるんだろうな」って予想されているから、その人たちの予想が現実になるのがいやなのだ。
将来が予想されると言うのは、なんか「将来、これをやってください」って命令に感じてしまうから、それがいやなんだ。笑
あたしの気のせいだけかも知れないが、やはり人生に関しては命令されるのがいやだね。「あたしの人生だから、あたしの好き勝手で決めるから!他人はあたしを命令する権利はない!」なんて思ったりしてね。
普通に考えれば、誰でもそうだろうね。
で、研究者になる話に戻ろう。
卒論発表後の卒論訂正と卒業式の間に、色々考えたんだ。
「この次、何をしたいか」って。
で、まだ東京に残ってる友達やあたしの次に留学する後輩達ののフェースブックみたり、これから日本に留学する人の話を聞いたりしたら、
「じゃ、あたしも研究生プログラムに申請しよう!」と。
「卒論発表の時のリベンジもしなきゃ!」ってことも思ってね。
ところで、あたし、卒論発表が下手だったんで、(後、研究の分析方も色々間違ったし)、卒論はB+しか取れなかった!
ま、負けず嫌いなところもあって、留学の前、毎学期にどの授業でも満点取れるように頑張って宝、卒業式の時に、GPA3.91で文化研究学部の2014年2月の卒業生の中に、1位のGPAを持ってる卒業生になったけど、
ガジャマダ大学全体では、法学部卒業生がGPA4.00(満点)で1位!2位は薬学部の卒業生かな?GPA3.99で。3位は経済学部の卒業生、GPA3.98か3.97か忘れたけど、、
違う学部だけど、あの法学部の卒業生はちゃんと満点で卒業できたのに(しかも、2人いたのよ!満点で卒業できた学生が)、なんであたしができないのよ?!とか思ってて、
「修士課程でリベンジ!」なんてことまで思ったのよ。
だから、その後、一所懸命に研究テーマを考え、卒論指導教員にも相談したりアドバイスしてもらったりして、研究計画を立てて、在インドネシア日本国大使館に研究生プログラムの申請書類を送った。
申請期間は4月24日までだった。
まずは、申請書類審査。その次、予選テストと面接。
合格したら、なんか色々な書類を記入して、日本の入学志望大学の教授に入学許可書を書いてもらったりして、うまく行けば、日本に行くのは、来年の4月になる。
で、6月10日は申請書類審査の結果発表!
8時にセンターに入って、すぐパソコンをつけて、在インドネシア日本国大使館のホームページに入った。まだ結果は出てなかった。
9時、、まだだ。
10時、、うう、なんでまだなの?
11時、、そろそろ出るんじゃないか?え?まだ?!
12時、、本当に今日、6月10日?
13時、、6月10日だね、
13時7分、あ、出たああ!
書類審査結果が出たああ!
すぐ、アドビー・リーダーの文字検索機能で、自分の名前を記入してええ、、
あったあああ!
あたしの名前、あったあああ!
本当にあたしだよね?確認しよう
「Thathit Puspaning Gegana, ガジャマダ大学卒、」
うん、ここまでは、あたしじゃない可能性はまだ低いな、、
「Jakarta、、」これ、テストの場所かな?
「6月25日、13時、、」ってこれ何?面接のスケジュール?そうなんだ、、
のような独り言してた、、笑
冷静に考えれば、インドネシア中、「Thathit Puspaning Gegana」という珍しい名前をもっているのはあたしだけと言う可能性も99%に近いし。笑
まだまだテストや面接などで、「戦い」が終わっていないから、フェースブックでステータス書いて祝うことをしないことにした。
でも、審査結果を見て、あたしが合格したって分かった友達があたしに「おめでとう」って言ってくれた時、本当に嬉しかったんだ。心が温まったっていうか。
まだまだ安心できないけど、少しはその人たちの「おめでとう」の言葉で、一安心できた。
でも、なんか胸騒ぎもしたな。
失敗という可能性に不安があるでろう。
あたしには、安心と油断は紙一重なんだから、あまり安心してると、油断してるようになってしまう。
油断してしまって、失敗してしまう。
そんなの、一番怖い!前にも言ったけど、特に、負けず嫌いなところがあるから、さらに不安を感じてる!
失敗することを想像するだけで、泣きたくなる。いや、泣いた時もあった。
大丈夫かな?大丈夫かな?なんて。
「ま、今、考えても、先のことだから、今やれるのは精一杯頑張って、素直な気持ちで祈るしかないね。前にあるものから、勝負をして戦って、かつしかない!」
と、イスラム・インドネシア大学の教授の
カン・オマン先生がジョグジャであった時に言った、、